Trip to Sydney!

今年の夏休みはどこにも行かないと思うし行けない。

こんな状況だしね。だから楽しかった夏の思い出について書こうと思う。

 

ここ数年で1番の夏の思い出は、2016年の12月に両親とSydneyに行った事だ。

私は留学先のMelbourneから、両親は日本からそれぞれ現地に向かった。

Sydneyの空港について、さて両親を探さないと思ってポケットからIphone

取り出したとき、後ろから「acoちゃん」と呼ばれた。振り向くと小柄でぽっちゃりした母親が、とっても嬉しそうに笑っていた。その後父とも合流してタクシーでホテルに向かった。荷物を軽く片付けて、3人で近くのパブに入ってランチを食べた。

父親はステーキ、母はチップス、私はただビールをグビグビ飲んだ。

オーストラリアのパブにはたくさんの種類のビールがあって、バーテンダー

とてもフレンドリーな事が多い。だから試飲もたくさんさせてくれるし、味の

好みを聞いて色々とオススメしてくれる。このパブ文化が無性に恋しくなる事が

帰国してからたまにある。とくに暑い夏の日は、吸い寄せられるようにパブに入って

冷たいビールを飲んで一息つくのが好きだった。

 

 

私たちが滞在したKingcrossというエリアは、バックパッカーが多くて夜は少しだけヤバイ雰囲気の人たちが多かった。でもそれ以外は特に何の問題も無く、中心地へのアクセスも簡単だった。

 

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滞在2日目はSydneyに来たら外せない、オペラハウスを見に行った。両親は館内のツアーに参加したけれど私はそこまで興味が無かったので、オーストラリア現代美術館で、宮島達男という日本の現代アーティストの展示を見た。LEDライトとデジタルカウンターを使った作品を眺めていると、今この瞬間にも過ぎていく時間が儚すぎて、私は急に死ぬのが怖くなった。美術館を出ると、Sydneyの空気はカラっと乾いて太陽の光が燦々と降っていて、さっきまでの少しダークな気持ちを一掃してくれて私は少し安心した。

 

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ホテルまでの帰り道は歩こうとなったのだけど、Sydneyの坂道をなめてはいけないと思った。傾斜が急で健康な私でもかなり辛い。しかも真夏なので体力をどんどん消耗していく。結局途中から電車に乗って帰ってきた。

 

3日目はフェリーに乗ってManlyBeachという場所に出かけた。

ここの海が本当に綺麗で人もそこまで多くなかったので、Sydneyに旅行に行くという

友達がいたら絶対に勧めている。海の水がとても冷たくて、あまり長い時間入っていられなかったけど私はかなりはしゃいだ。昔から海が大好きだったけれど、高校生以来水着になるのが恥ずかしくて海にもプールにも行っていなかった。だから誰の目も気にせずビキニを着て、海で遊ぶ事が特別楽しかった。

 

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ホテルに戻ってシャワーを浴びたとき、自分の背中にくっきりと水着の

日焼け跡がついているのをみつけた。日本でこんなに日焼けしたら発狂していると思うけれど、オーストラリアに来てから日焼け=悪、という思い込みからいつの間にか私は開放されていた。もちろんオーストラリアの日差しは強烈で、皮膚癌の危険もあるから日焼け止めは塗るし、サングラスも日常的にかけていたけれど。

太陽の下で過ごす事が、こんなにも気持ちいい事を私はこの土地で学んだ。

 

4日目、クリスマスイブの日。昨日海で遊びすぎた私は風邪をひいてしまった。

初めての真夏のクリスマスイブ。母か父が買ってきてくれたスイカを食べながら、

ホテルで一人で過ごしたけれど、全く寂しくは無かった。

友達からクリスマスのメッセージが届いていて、LINEの画面には雪が

無音で降っていた。

 

5日目と6日目は、お土産や自分たちの買い物をしたり、街をのんびり散歩して

過ごした。私は仲の良い友達にちょっと高級なチョコレート買った。今考えるとなんで真夏にチョコレートなんてお土産に選んだんだろうと思うけれど、私はどうしてもそれを友達にあげたかったらしい。帰ってきてから、そのショコラティエがMelbourneにもあると知って私はガッカリした。でも友達は喜んでくれたので、まぁいっかと思った。

自分には小さなギャラリーで見つけた、ガラスで出来た星のピアスを買った。

結構前に片方の金具が取れてしまって、それから付けていないんだけれど。

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私と両親はSydneyを思いっきり満喫して、帰る頃にはなんだかとても健康に

なった気がしていた。もとからみんな健康なほうではあるけれど、太陽の力は

やっぱりすごいなと実感した。母親は首の後ろの日焼けが気にいらないらしく、ずっと

ぶーぶー言っている。父親は、冬休みは毎年でもオーストラリアで過ごすのも悪く無いと満足気だ。私は留学先にMelbourneでは無く、Sydneyを選べば良かったかなと思うぐらいこの街が好きになっていた。

 

空港で両親と別れるとき、母親はいつもそうするように顔は笑っているけれど、とても心配そうな目をしていた。父親はあっけらかんとしている。

「次は日本の夏休みにね」

そう言ってなるべくあっさり別れの挨拶を終わらせた。