Trip to Sydney!

今年の夏休みはどこにも行かないと思うし行けない。

こんな状況だしね。だから楽しかった夏の思い出について書こうと思う。

 

ここ数年で1番の夏の思い出は、2016年の12月に両親とSydneyに行った事だ。

私は留学先のMelbourneから、両親は日本からそれぞれ現地に向かった。

Sydneyの空港について、さて両親を探さないと思ってポケットからIphone

取り出したとき、後ろから「acoちゃん」と呼ばれた。振り向くと小柄でぽっちゃりした母親が、とっても嬉しそうに笑っていた。その後父とも合流してタクシーでホテルに向かった。荷物を軽く片付けて、3人で近くのパブに入ってランチを食べた。

父親はステーキ、母はチップス、私はただビールをグビグビ飲んだ。

オーストラリアのパブにはたくさんの種類のビールがあって、バーテンダー

とてもフレンドリーな事が多い。だから試飲もたくさんさせてくれるし、味の

好みを聞いて色々とオススメしてくれる。このパブ文化が無性に恋しくなる事が

帰国してからたまにある。とくに暑い夏の日は、吸い寄せられるようにパブに入って

冷たいビールを飲んで一息つくのが好きだった。

 

 

私たちが滞在したKingcrossというエリアは、バックパッカーが多くて夜は少しだけヤバイ雰囲気の人たちが多かった。でもそれ以外は特に何の問題も無く、中心地へのアクセスも簡単だった。

 

f:id:cheers-2020:20200714123344j:plain

 

滞在2日目はSydneyに来たら外せない、オペラハウスを見に行った。両親は館内のツアーに参加したけれど私はそこまで興味が無かったので、オーストラリア現代美術館で、宮島達男という日本の現代アーティストの展示を見た。LEDライトとデジタルカウンターを使った作品を眺めていると、今この瞬間にも過ぎていく時間が儚すぎて、私は急に死ぬのが怖くなった。美術館を出ると、Sydneyの空気はカラっと乾いて太陽の光が燦々と降っていて、さっきまでの少しダークな気持ちを一掃してくれて私は少し安心した。

 

f:id:cheers-2020:20200713130704j:plain

 

ホテルまでの帰り道は歩こうとなったのだけど、Sydneyの坂道をなめてはいけないと思った。傾斜が急で健康な私でもかなり辛い。しかも真夏なので体力をどんどん消耗していく。結局途中から電車に乗って帰ってきた。

 

3日目はフェリーに乗ってManlyBeachという場所に出かけた。

ここの海が本当に綺麗で人もそこまで多くなかったので、Sydneyに旅行に行くという

友達がいたら絶対に勧めている。海の水がとても冷たくて、あまり長い時間入っていられなかったけど私はかなりはしゃいだ。昔から海が大好きだったけれど、高校生以来水着になるのが恥ずかしくて海にもプールにも行っていなかった。だから誰の目も気にせずビキニを着て、海で遊ぶ事が特別楽しかった。

 

f:id:cheers-2020:20200713132649j:plain

 

ホテルに戻ってシャワーを浴びたとき、自分の背中にくっきりと水着の

日焼け跡がついているのをみつけた。日本でこんなに日焼けしたら発狂していると思うけれど、オーストラリアに来てから日焼け=悪、という思い込みからいつの間にか私は開放されていた。もちろんオーストラリアの日差しは強烈で、皮膚癌の危険もあるから日焼け止めは塗るし、サングラスも日常的にかけていたけれど。

太陽の下で過ごす事が、こんなにも気持ちいい事を私はこの土地で学んだ。

 

4日目、クリスマスイブの日。昨日海で遊びすぎた私は風邪をひいてしまった。

初めての真夏のクリスマスイブ。母か父が買ってきてくれたスイカを食べながら、

ホテルで一人で過ごしたけれど、全く寂しくは無かった。

友達からクリスマスのメッセージが届いていて、LINEの画面には雪が

無音で降っていた。

 

5日目と6日目は、お土産や自分たちの買い物をしたり、街をのんびり散歩して

過ごした。私は仲の良い友達にちょっと高級なチョコレート買った。今考えるとなんで真夏にチョコレートなんてお土産に選んだんだろうと思うけれど、私はどうしてもそれを友達にあげたかったらしい。帰ってきてから、そのショコラティエがMelbourneにもあると知って私はガッカリした。でも友達は喜んでくれたので、まぁいっかと思った。

自分には小さなギャラリーで見つけた、ガラスで出来た星のピアスを買った。

結構前に片方の金具が取れてしまって、それから付けていないんだけれど。

f:id:cheers-2020:20200714134117j:plain

 

私と両親はSydneyを思いっきり満喫して、帰る頃にはなんだかとても健康に

なった気がしていた。もとからみんな健康なほうではあるけれど、太陽の力は

やっぱりすごいなと実感した。母親は首の後ろの日焼けが気にいらないらしく、ずっと

ぶーぶー言っている。父親は、冬休みは毎年でもオーストラリアで過ごすのも悪く無いと満足気だ。私は留学先にMelbourneでは無く、Sydneyを選べば良かったかなと思うぐらいこの街が好きになっていた。

 

空港で両親と別れるとき、母親はいつもそうするように顔は笑っているけれど、とても心配そうな目をしていた。父親はあっけらかんとしている。

「次は日本の夏休みにね」

そう言ってなるべくあっさり別れの挨拶を終わらせた。

 

 

 

Re

10年前にはてなダイアリーで書いていた日記を見つけて、なんだかまだ

何でもない日記をネット上で書きたいなと思ってこのブログを作った。

 

10年前はバーカウンターのある小さな居酒屋で、楽しくはちゃめちゃに働いていた。どこにでもバイクで迎えに来てくれる恋人がいて、夜遊びもたくさんしていた。

10年経った今。2年間オーストラリアに留学したので、日常的な英語が理解できるようになったし、色んな人種の人と関わった事で価値観が大きく変わった。

 

帰国後は1年間実家に帰り、働きながらお金をためて同時に流行りのプログラミングを勉強した。がむしゃらに就活をして、小さな広告制作会社の社長にひろってもらったけど、コロナの影響と他に色々あって2週間程前に辞めた。休業期間にかなり貯金を使ってしまっていて、また実家に帰るしか無いのだろうかと思いながら仕事を探していたところ、幸運にも「うちに来ませんか?」と言ってくれる会社と出会い、採用が決まったのが先週末の事だ。前の会社より条件が良いし、業務もそこまでやりたい事とずれていないし結果オーライなのかなと思う。

 

これからの人生不安だけれど、私も少し大人になったのか「なるようにしかならないから、きっと大丈夫」と思えるようになった。2020年、たくさんの人にとって厳しい年だろうけど、私はこの波を上手く乗りこなそうと思っている。